森さんは、28年前に左腕神経叢引抜き損傷を経験し、左腕が部分的に動くものの幻肢痛とともに生活されてきた方。図や文字がびっしり書き込まれたノートを常に持ち、自身の体や痛みを絶えず研究されています。一時は「動物になろう」と決心して山に入るほどの痛みでしたが、猪俣一則さんが代表をつとめる(株)KIDSが開発している幻肢痛緩和VRシステムで痛みのない世界へ。「両手感」が鍵のようです。現在は、VRの効果をいかに持続させるか、さらに探求を深めていらっしゃいます。
Interview & Text by ito asa / GraphicRecord by shimizu junko
森一也さんプロフィール
幻肢痛や体のいろんな痛みと脳の研究活動家(当事者サイド)
平成2年(17歳)バイク事故により左腕神経叢引抜き損傷で左腕半分と指が麻痺する。
アメリカ留学から帰国後、IT系プロジェクトを遍歴し、ウェブデザイナーとして独立。
26年目、左腕神経叢焼灼手術後、能動的な研究とリハビリをライフワークにし現在に至る。
【前編:2018/6/26 KIDSにてVR体験の合間に】
28年間、信号を送り続ける脳
伊藤 左腕の引き抜きから28年経つんですね。
森 そうですね。本業はウェブデザイナーですが、いまはほぼ幻肢痛の研究しかしていないです。
伊藤 左手は完全に麻痺しているわけではなくて、書くときに紙を押さえたり手渡したりするときに使うんですね。
森 部分的には動きます。腕を内側に引き寄せることはできます。でも、外側に広げることはできない。腕がぷるぷる震えちゃいます。橈骨側(内側)の神経が、辛うじてつながっているんです。指は動きません。
伊藤 それだけ動いても、幻肢があるんですね。
森 そうですね。個人差があって、神経が全部切れて、機能がシャットダウンするまで切れていても、痛みを感じる人もいれば、全く感じない人もいる。ぼくの場合は、半分感じちゃっているんで、脳は100パーセント…どう言ったらいいんでしょうかね…
伊藤 オンでもオフでもない感じですか?
森 そうですね。僕の脳は、左手が切れているということをまだ学んでいない状態なんですよね。脳から左手への信号が、腕の内側はちゃんと届いているんだから、外側も行けるはずだと思っちゃう。「動かない」という報告が腕から来ても、脳は、「いや、そんなことない、行ってこい」とさらに信号を出すようになる。それがずっと続いているんです。なので、朝起きると、体が動かないですよ。パンパンになっていて。
伊藤 幻肢が腫れているということですか?
森 どう言ったらいいんですかね…その信号でいっぱいになってしまっていて、だから起きるとまず声を出して、その声の振動で、喉頭蓋から信号を送って脳を起こすんです。それから読経をするんですけど、そうやって起きれるかどうか試す感じです。
伊藤 「起きる」じゃなく「自分を起こす」という感じですね。
森 そうですね。
伊藤 30分くらいかかりますか?
森 30分はかかりますね。もう慣れちゃってますけどね。
伊藤 28年目でも、脳の信号が出続けているんですね。
森 結局、自分の痛みが幻肢痛だということがわかったのが、2005年くらいなんです。それまでは整形外科にかかっていて、脳神経外科には行っていなかったんです。整形外科に行っても「いや、神経が切れているんだから痛まないはずだ」と言われてしまって。
伊藤 幻肢痛の知見が広まり始めたのは、そんなに最近なんですね。
森 アメリカでは70年代にはベトナム戦争の帰還兵がいたので、幻肢痛が知られていました。でも、だいたいの人は欠損ですよね。欠損の場合は痛みが出るけど、これだけ動いているのになぜ痛いのか、と思われちゃったんです。そこの誤差があったんですよね。
それで28年の間に、左腕に信号を送る脳の経路ができてしまったんですよね。書き換えができないくらい、プリンティングが強化されてしまった。その信号は、ぶつかったときに「痛いっ」って感じるような信号なんですよね。脳が体を動かすという仕事をできないので、それが痛みに変わるんです。
伊藤 「ちゃんと手が動いたよ」というフィードバックが来ないから、信号が解除されないということですね。
森 自分で、右側(健側)の手の動画を撮って、それを反転させてiPadに入れて、そのiPadを左手に乗せて合わせてみる、というようなことをしていました。ドイツのBobathという医学療法士が開発した、小児麻痺の子供のリハビリの方法があるのですが、そこで必ず両手を一緒に動かすということが言われています。ぼくも偶然、一年くらい、iPadの画像内の反転した右手を自分の左手のように使って、両手を一緒に動かすことをやっていました。なので、4月にこのVRを体験しに来た時に、「あ、これだ!」とバッチリ合う感じがありました。VRは今日が2回目です。
伊藤 本当に研究者のように、ご自分の幻肢痛を分析されていますね。
森 そうでないと、死んじゃいますからね。同じ部分的引き抜きの患者さんで、痛みに耐えられなくなってしまい、自死する方は多いです。途中で力尽きて、衰弱死することもあります。そういう人を見ていて、違いはなんだろうなあと思っていました。
ぼくは24年くらい経ってから衰弱が始まりました。これ以上は動けない、食べられない、眠れない、となったんです。それで、首の後ろに穴を開けて、阪大で神経を焼く手術をしました。「DREZ-otomy(ドレッズ・オートミー)」という手術で、激痛だけを止める、持続痛は止められない手術でした。持続痛のほうは、脳が書き変わらないと無理なんでしょうね。焼くのは完全に焼くのではなく、部分的に、何ミリかごとに、70度に熱した針を30秒間当てるというものです。ただ、まだ実験段階だったみたいで、足に少し障害が出てしまいました。両足に痛みが出始めました。
伊藤 足の神経に触っちゃったんですかね。
森 そうだと思います。あとは、シューティングペインの手術をした影響で、麻痺している方の左膝を触ると、左肘を触っている感じがするんですよね。脳のなかで、手足を司る領域と顔を司る領域がとなりにあるんですよね。
伊藤 今日はVRは2回目ですよね。前回、初めてやったときはどんな感じでしたか。
森 一発でつながった感じですね。「あ、なるほど!」と。
伊藤 それは「両手感」みたいなものですか?
森 まさに「両手感」ですね。iPadで見ていたときは、なんとなく動いているだけで、30分やって、天気のいいときで40-50%くらい回復するという感じなんです。ぼくは天気に左右されるタイプで、赤道より南にある台風がどこにあるのかが分かるくらいです。台風って一つだけでは存在しないで、まわりにいろいろな要因があって連動しているので、分かるんです。最初はなぜ痛いのか分からなかったんですよね。
動物になろうと思った
森 最初の10年は自殺願望がありましたね。でも、どんどん仲間が死んでいくので、最後まで生きていたらどうなんだろう、と思っていました(笑)10年で、あっさりとみんないなくなりました。
そこからは引きこもりの逆で「出っ放し」。動物になろうと思ったんです。手負いの動物って泣かないですよね。ただ生きようとするじゃないですか。そのためには、人間としての思考を止めて、動物のように生きるしかないということで、山の中に入っていって、何日間もおにぎりだけで、何も考えずにひたすら座禅をしたり瞑想をしたりしていました。そのときはまだ体力があったので、静かにすることで痛みを抑えられていました。
でもだんだん体力が負け始めて、信号の経路がどんどん大きくなっていった感じがあります。
伊藤 信号の経路は衰退しないんですね。
森 精神でも同じですよね。長く虐待されたりストレスに晒されると、CRPSになったりする。
ぼくは普通に生きることを途中で諦めたというか。「普通に生きるのを諦めて命をとる」のと「普通に生きようとして命を諦める」のどっちなのかというときにぼくは命をとったんです。
伊藤 いまはむしろ、研究者的に幻肢痛に「向き合って」いらっしゃいますよね。「向き合う」という表現が正しいのか分かりませんが…。山に入っていたときは、そういう向き合い方をしていなかったということですか。
森 知識が全くゼロの状態でした。今はメディアが発達して、幻肢痛の原因などについての海外の情報も入ってきますが、当時はそうではありませんでした。捨てるということで得る精神状態というのがありますよね。絶望、望みを絶ったのがよかったんだと思います。望まない。「〇〇をしたい」という思いも不安も何もなくなってしまい、何かの情報が入ったときに、それを理解しやすくなったんです。
伊藤 透明な状態という感じですか?
森 そうですね。そうだったと思います。
伊藤 痛みって、向き合ったほうがいいのか、向き合わないほうがいいのか。どっちなんでしょうね。
森 そこが問題でね。向き合うっていうことの解釈の難しさがあります。ぼくのふだん痛みって、10段階で表すと5から6くらいなんですよ。天気が悪くなると、7、8、9となってくる。逃げるのもありだなと思っています。逃げて、体力の補充をちゃんとしないとだめなんですよ。年齢的に、精神論や根性論だけでは無理なんです。一週間のうち土日以外の3日は、ペインクリニックに行って、麻酔で眠らしてもらうんです。
伊藤 いままさにそうしているんですか?
森 そうです。現在そうしています。それがないと、大阪から東京まで来られない。それ以外の半分は、ここで見たバーチャルな左手を頭で描いて動かしています。疲れて眠れるまで、それをやり続けます。
伊藤 脳内VRで訓練し続けるんですね。
森 そうです、脳内VRです。
伊藤 ときどきVRを体験すれば、またその記憶が鮮明になるということですね。今日は昼のセッションでは何分くらいVRをやられたんですか。
森 一時間やりました。
伊藤 かなり疲れますね。
森 疲れはあとで出ますね。でも没入感が半端ないので、何時間でもやっていられるんです。
伊藤 VRをやっているときの「両手感」というのは、手が動いていたときを思い出す感じなんですか。
森 思い出す…思い出してはいるんでしょうけど、たぶん新しい秩序ですね。同じ理屈の秩序だとは思うんですけど、VRで秩序が戻るということは、もしかしたらかなりフレキシブルなのかもしれない。
伊藤 「秩序」という感じなんですね。整った、というか。
森 感覚的には、ふだんは「でっかい痛み」なんです。でっかいプレス機に挟まったような。そのでっかい痛みが、VRをやると、一本一本に分解されて、「指」になっていく感覚なんです。10分もかからないうちに、指が一本一本に入っていきます。腕は、感覚が残っていて、痛くないんです。実際には指は動いていないんですが、動いている感覚があります。最初は幻肢痛が弱まっていって動いている感になっていたんですが、どうもそればっかりではなくて、幻肢痛がないのに、動いていないのを動かすという部分もあるんです。つまり脳が五指を動かすというスイッチが入ったんだと思います。今でも、右手の指を動かすと、それと同じように左手の指も動いている感覚があります。
伊藤 幻肢ではなくて現実の手の指が動いている感じなんですね。その違いが明確に言えるのか分かりませんが…。
森 幻肢は幻肢なんですかね。幻肢痛の「痛」を隠すと幻肢じゃないですか(笑)。だから痛みである必要はないんですよね。皮膚感覚に助けられているんだと思います。機能はやられてる、だけど、限りなく動いている方に近い感覚になっている。
今日、さっき確認してもらったら、右手を動かしているときに、左手の親指が少し動いているということでした。
伊藤 すごいですね。
森 角度によっては、ピクッと動くんです。
伊藤 あっ、動いてますね!
【後編:2018/7/4 (VR体験後8日目)のSlypeにて合間に】
「通電」する感覚
伊藤 まずは、先週2回目のVRの体験をされてどのような状況だったか、教えてください。VRをやられているあいだ、左右の耳のそばでときどき指パッチンをされていましたね。あれは何のためですか?
森 1回目、4月にVRをやりにいって、VR画面内の手を頭の中に記憶して帰るにはどうしたらいいか、ということを考えました。自分でやりたい手の形があったんです。たとえば、「右手の人差し指の先と左手の人差し指の先を付き合わせる」、あるいは「サッカー選手がゴールを決めたときのように両手の人差し指を上に突き上げる」といったものです。まずはVRをのぞいても、すぐには「通電」してくれないんです。それが完全にリンクしたなと思ったときに、パチンと耳もとで鳴らしたらどうだろう、と思ったんです。視覚のみじゃなく聴覚も利用して記憶しようとしたんです。
伊藤 記憶を定着しやすくするトリガーのようなものですか?
森 そうですね。
伊藤 「通電」という感覚も面白いですね。
森 「わ、両手動いている!」という感覚ですね。VR内で見るものは、逆に自分の手じゃなくて、関係ない、かっこいい手のほうがいいんですけどね。ぼくの左手は親指と人差指だけまだ触覚神経が生きています。だから、〔VR内に見えている左手は、モデリングした白い右手を左右対称に出したものであって、現実の左手をキャプチャーしたものではないけれど〕現実の左手をそのVR画面内の左手の位置まで持って行ったら、自分の手の感覚が、ちゃんとハマるんです。
伊藤 なるほど。VR内に見えている手に対応した触覚的なフィードバックが、現実の手から返ってくるということですね。
森 そのときようやく「通電」するので、手でパチンとやっていたんです。
伊藤 ということは「通電」というのは、見えているバーチャルな手と自分のリアルな手が一致するという感覚でしょうか。
森 そうですね。猪俣さんの話では、通常だと、その感覚をVRで体験したとしても2週間くらいで記憶が薄れてくるらしいんです。ただ、ぼくは事故のときに頭を打っていて、文章は覚えられないんですが、風景をすごく覚えてしまうんです。長いことフォトショップというソフトを使っていたんですが、フォトショップにはレイヤーという概念があって、視覚野から入ってきたそのレイヤーを貯蔵する部分のようなものが脳にできたんですよね。それを使えたらいいなと思っていたのですが、最初にVRをやったときは、VRで見た白い手の記憶が、1ヶ月は持ちました。
森 1ヶ月後くらいにだんだん記憶が薄れてきたので、もう何でもいいやと思って、『スター・ウォーズ』に出てくるストームトルーパーのあの白い手と差し替えちゃったんですよ。
伊藤 えっ、差し替えるというのは…?
森 自分の記憶の中の手です。VRの中の白い手を、映画でルーク・スカイウォーカーが被っていたあの手に変えちゃったんです。こっちの方がかっこいいわって。そしたらすんなり反応してくれました。
伊藤 なるほど(笑)
森 ただ今度それでVRをやると、あれ、ストームトルーパーじゃないんだ、って思ってしまって、ちょっと時間かかっちゃうんですよ(笑)。だから何でもいいんだとは思うんですけど、VRが一番通電できるので、あれを覚えて帰りたい、だから指パッチンをしていたんです。
伊藤 その記憶というのは、具体的にはどのようなものですか。手が動いている動画としての記憶なのか、それとも指の微妙な曲がり具合とかが重要なのでしょうか。
森 えーっとですね…VRの手は、白い羊羹がくるっと曲がったような指ですよね。角張っていて…。そういうテクスチャーや形のディティールを、指先から手首まで、順繰り順繰り思い出していくんですよ。それが通電するとピクッと動くんです。
伊藤 となると記憶も触覚的なんですかね?もちろん目では見ているんだけど、指の質感のようなものが重要ということでしょうかね?
森 どう言ったらいいんだろう…目で見る視覚的情報と自分の動きのリンク、つまり脳と通電したなという感覚で無痛の状態まで行けるので、記憶は両方でしょうね。
伊藤 たとえば自転車に乗る能力は、たとえ十年ぶりだったとしても、わりとすぐに「あ、この感覚だ」と思い出して乗れますよね。それと似ていますか。
森 それとはまた違っていて、肢体が通電している人はそれがすぐに思い出せると思うんですが、ぼくは左手が通電していないので、目をつむってVRの形をやると、右手はすぐ思い出せるのに、左手だけがもやがかかったような感じなんです。はっきりしないんですよ。前にもお話したかもしれませんが、ひとつの大きな痛みの塊のときは、やはり思い出しにくいんですよね。ですけど何分か自分で右手を動かしていると、両手動かしている感じになってきます。視覚なしで動かしても、いまはだいぶつながっているので、VRのときよりは弱いですけど、両手を動かしている感じになります。
親指と人差し指に幻肢が
伊藤 このまえ、2回目のVRセッションのときに、開始5分くらいで、「人差し指来た!」とおっしゃっていましたよね。それは大きな塊が分割された感じですか?
森 それはまたちょっと違っていて、大きな塊が分かれていくのは、小指から始まるんです。小指は、一番にぎる力が強いので、そこから始まって、今までは中指で止まっていました。親指から始まる場合もあるらしいんですが、ぼくは親指と人差し指は触覚があって痛くないので、そこは幻肢がいらない場所なんです。
ところが4月に最初にVRをやってから6月の2回目までに、親指と人差し指に、幻肢指が現れちゃったんです。「え、そこいらないのに」って。
伊藤 へえ、そんなことがあるんですね。痛みはなく、純粋な幻肢指ですか。
森 痛みはありません。ほかは「痛」によって指を理解していって、動かしているうちに「痛」が消えていって、動かしている感覚だけになるんですけどね。理にかなっていますよね。いつもは動かそうとする信号がで続けていて、それが実際の動かすという仕事につながらないので痛みに変わっているわけですから。
その幻肢が、親指と人差し指には必要ないはずなのに、突然生まれたんですよ。親指と人差し指は、皮膚感覚で「在る」ということが分かるので、脳が過剰には信号を送っていなかったんだと思うんです。それが、親指が、物理的にピクッと動くようになって、幻肢が復活したんですよね。
伊藤 親指と人差し指に幻肢が出てくるのは初めてですか。
森 いままで28年間は、幻肢痛は中指から外側、脇の下までだったのですが、内側に出始めました。確かに台風のときも大阪より東にある台風は、親指が痛くなるので、障りはあったんだなとは思います
伊藤 なるほど。幻肢はどういう状態ですか。リアルな指に重なっている状態ですか?
森 重なっています。動かせば重なります。動かさないとミトンのような感じでぼやっとしています。
伊藤 動かすとサイズが一致するんですね。
森 そうですね。一本一本に入っていく感じですね。
伊藤 なるほど。
伊藤 このまえVRをやられているときに、HMDをつけた状態で、正面を向くのではなく左手を覗き込むようなアングルでやられていましたよね。あれは、記憶しやすくするためですか。
森 より左手のみに集中して、その姿を焼き付けようとしたんですが、脳裏のレイヤーのほうに入り込んでしまい、目をつむったときにそれがすぐに出てこないので、やり方がおかしかったのかな、と模索している状態ですね。
伊藤 なるほど。あのアングルは、4月のときはやらなかった実験なんですね。
森 そうです。指パッチンも今回初めてです。
伊藤 その思い出しにくい感じというのは、どういう感覚でしょうか。
森 たとえば、ぼうっと空を見上げて、見ながらいろいろな場面を想像することってできますよね。そこに入ってしまったようなんです。目をつむって焦点をあわせようとすると逃げるんだけど、逆にぼうっとしてると出てくるという感じです。
禅に阿字観というのがあるじゃないですか。字のゲシュタルト崩壊を起こさせているんだと思うんですが、阿という字が阿に見えなくなるまで見つめろ、と。ぼくはそういうのをいろいろなところでやっていたので、文字をパッと見ても、その意味を脳に言わせない訓練ができているんです。なので、目を開けたらようやくVRのイメージがうっすら出てくるんです。でも見えている物理的な手は動いていないので、そのVRのイメージと混ざってしまって、いまいちうまくいかない。なので病院では、目線をずらして、待合室の壁を見ながら右手をずっと動かしているという感じですね。でも、信号としては強くなったと思います。
伊藤 信号として強いというのは、どういうことですか。
森 前より時間はかかるようになっちゃったんですが、通電したら、VRの白い手がパッとでて、前より効果的に幻肢が動いている感じがするんです。海外の研究論文を読んでいると、だいたい50%くらいの割合で痛みがなくなったと書いてあるんですが、Mission ARM JapanさんのVRに関しては、もう無痛なんです。なので海外のはどんなものを見ているのか、不思議なくらいです。
訓練と禅
伊藤 VRをやっているあいだの無痛状態が、VRが終わって8日経って、どのように変化していきましたか。
森 やっぱり痛みは数時間で戻っちゃいます。でも、軽いですよね。ほぼ、寝ずに手を動かしているんです。というのは、痛くて寝られないので。寝ようものなら、眠りのステイタスに入ったとたんに、呼吸が止まって蘇生した人のように飛び起きるんです。もしくは酸欠状態で悪夢の三本立てのループ状態から出られない。なので、寝るのはぼくにとっては無駄なんですよね。もちろん寝ないとだめなので、一日おきに、麻酔科に行って麻酔をしてもらって寝る、ということをしています。だから家にいるときは、苦しい思いをするくらいなら、起きてずっと手を動かす訓練をしています。なので、かなり星飛雄馬的な、スポ根漫画レベルでずっとやっています。
伊藤 手を動かし続けていることが、むしろ体を休ませることになるんですね。
森 痛みから逃げられるという意味ではそうですね。痛みから、精神的じゃなく、肉体的に遠ざかれるので。首をやられてしまっているで、自律神経がズタズタなんですよね。だから交感神経、副交感神経のスイッチが入らないんです。だから一回気圧の変化で圧力がかかっちゃうと、首のうしろから水銀を流し込まれて、心臓や肺や胃や腸に流れていって重く焼けついた感じになるんです。それを味わうくらいなら起きて、訓練をやっていたほうがましという感じですね。
今ちょうど拮抗しているんですよね。いままでのつらかった状態と、VRから得た楽な状態が、対立、対極関係にあるんですよ。ここからは、ひたすら訓練をやって、どうやって効果をブロックしないかですね。精神論も関わってきて、対極が太極に変わってくる状態を目指しています。
伊藤 なるほど。「効果をブロックしない」というのはどういうことですか。効果が勝手に減衰していくのではなくて、反作用のような要因が別にあるんですか。
森 まず、ニューロンの暴走も効果のブロックなんですが、思考もニューロンも使っていますよね。「こんなに辛くては生きていけない」というネガティブな考えも、「全然辛くない」というポジティブな考えも、とにかく考えをいっさい止めるんです。何も考えない。それでひたすら機械のようにひたすら訓練する。
言語を動かしちゃったりすると、視覚が消えちゃうんですよね。朝、ぼくは体を起こすために読経するんですが、十年以上続けているので、読経しながら他のことを考えられるんですね。読経は別の領域に渡して、「今日は何を食べようかな」とか考えられる。だからそこまでやりこまないとだめなんだろうと思います。読経も、最初は一生懸命覚えて、書いて、意味を理解する、という段階があった。でもそれは終わっているので、それこそ自転車と同じで、ぱっと言えるんです。
伊藤 なるほど。手の動きを、その読経と同じレベルでオートマチックにできるようになることが、ゴールになりそうだということですね。
森 だと思いますね。だって、みなさん、手を動かそうと思って動かしてないですよね。
伊藤 現時点では、効果が出るようにするためのベースの集中状態を作らないと、うまくいかないということですね。
森 そうですね。もちろん何かが思い浮かんだら、しばらく浮かばせとくというか、言語野が動くなら動け、と遊ばせておきますけどね。それにしばられると、またブロックしてしまうので。
伊藤 マインドフルネスもやられていたりするんですか?マインドフルネスも、自分に起こることを評価せず、俯瞰して観察する視点を作るやり方ですよね。
森 マインドフルネスのことはよくわからないですが、最初の15年は、俯瞰することしか手がなかったので、やっていましたね。なんら医療の手助けがなかったので、前にもお話したとおり、動物になるために山に入っていたんです。それは、人間的思考を止める、あーだこーだ考えない、考えたら考えたで放っておく、みたいなことですよね。そういう意味ではマインドフルネスに近いですし、禅も同じような考え方ですよね。
伊藤 なるほど。今日は、前回VRをやって8日目ですが、これからどうなっていきそうな感じですか。来週、一ヶ月後など、近い未来の状態をどう予想しますか。
森 今回、けっこう大きな台風がきているんですが、一回も、呼吸が苦しくなって飛び起きるというようなことがないので、やりこむのみかなと思っています。禅の言葉で言うと「只管打坐」という、ただただ座るということですね。手をあげただけで楽になるんです。頭が準備に入るんですよね。これはそれまでなかったことなので、脳がそれだけ書き換わってきているということですよね。ここからの書き換えは、読経や座禅と同じようにやりこむだけですね。
下手に記憶を裏打ちしようとしたり、フラグを立ててやろうとしてみたものの、あらぬところに入ってしまったので(笑)、それはもしかしたら余計だったのかもしれません。バイクの前に乗っていた奴を恨まない、逆境を恨まない、順境を妬まない、自分はこれでいい、というセルフセンターな精神状態のまま行けばいいんじゃないかと思うんですよね。そこに計算とか欲が入ると、たぶんあまりよくない。学術的な何かが見つかればいいですけど、自分の立身出世のためではなく、単にみんなに治ってほしいというだけのことなのですが、どうしても人間ってそういう気持ちが出てくるんですよね。
伊藤 セルフセンター、自分が中心という感覚は面白いですね。本当にそうですね。
森 相対的に自分が中心だったら自分勝手になっちゃいますが、何かと比べてではなく、絶対的に自分が中心ということですよね。自分が世界の王になるのではなく、自分のなかだけで自分の世界があって、自分がその世界の王なのであって、それは他者におしつけるものではない。そういった思考のままでいないと、いろいろ考えてしまって、それがブロックになるんですよね。ただこういうのって求道者っぽくってVRとかとは関係ないんですが、脳がやっていることなのでね。
伊藤 今、手を動かす訓練は合計で、1日何時間くらいやっていますか。
森 何時間…寝てないですからね…眠るとしても4時間くらいなので、ご飯を食べたりトイレに行ったり、たまったドラマを見る時間を引いても、軽く10時間はやっていますね。というか、テレビ見ていてもやっていますからね。テレビの画面の真ん中に白い手が動いていますからね(笑)
伊藤(笑)すごいですね。10時間以上…本当にかなりやりこんでいますね。
森 雨が降る3日前くらいになると、足が焼けるように痛くて、立てないくらい体が重くなっちゃうんで、そういうときは素直に薬をいつも2倍飲んでどさっと寝るんですよ。もちろん麻酔とは別に、です。痛みから逃げられればいいんですよね。この訓練をするための道筋を整理しておかないといけないので。ディストラクションという方法があって、音楽を爆音で聴いたり、ふとんの中で歌を絶叫したりもします。17歳からバンドをやっていたので、歌は歌えるんですが、台風がくるとそれもしんどいので。
おそらくはこのまま「通電」して安定した感じになり、「通電」にかかる時間も短くなって、そのうち脳が書き換わっていくというゴールではありますよね。というのも、身銭切って東京まで行ってやる必要というのは、ぼくは28年これでだいぶダメージを受けていて、たぶん長くは生きられないと思うんですが、そんなことより、これだけ動けるようになった、という成果を示してから逝かないとダメなので、それは半分使命ですよね。
伊藤 このまえ見せていただいたノートも、ものすごく細かくつけていらっしゃいますもんね。あそこまで細かく分析してあるとは驚きでした。