栗原慎子(のりこ)さんは、2年前に病気で右腕を上腕から切断。私の知る限り、もっとも義手を「遊んで」いらっしゃる方で、なんと大ファンだという兄弟ピアノデュオ、レ・フレールの追っかけ用義手まで作製。ファーにあわせてめちゃくちゃカッコいいです。インタビュー用に持ってきてくださった義手たちも、くるくるっとまとめてヴィトンの黒いリュックに入れ、颯爽とヨガへ。ヴィトンの義手とか、夢見てしまいました。。
栗原慎子(くりはら・のりこ)さんプロフィール
1967年生まれの秋田県出身。OLを経て1989年看護師へ。2007年ピアノ連弾レ・フレールに出逢う。腰痛を克服する為に2011年からビクラムヨガに通い始める。2015年希少ガン発症し闘病生活(右上腕切断・手術前後に抗がん剤使用し丸坊主へ)2016年3月義手を装着し看護師復帰。世間に義手に見慣れてもらうために活動中。
2年で義手3本
伊藤 たくさん義手がありますね。
栗原 これが最初に作った義手です。装飾義手なのでリアルな手です。血管や指紋もあります。関節の部分が曲げられるので、今はパーですが、曲げてあげるとチョキやグーになります。仕事のときはつなぎめをサポーターで隠しているので、一見義手だとわかりません。
伊藤 確かにこの小指の微妙な曲がり具合とか、リアルですね。
栗原 手の部分はオーダーメイドではなく台所用の手袋と同じです。男性用S/M/L、女性用S/M/Lとサイズがあって、私は男のMの2にしました。掌が結構大きいんです。
私は今、認知症の専門病院の中にある施設でデイケアの仕事をしています。認知症患者の中には、顔にガーゼを貼られている方を見て、普段と違うことがきっかけで不穏から興奮される患者が稀にいます。手がないことで精神状態が不安定になる可能性もあると感じ、仕事に復帰するときには義手が必要でした。タイミングよく義手は完成しました。
伊藤 なるほど。時間的に整理をさせてほしいのですが、手術後かなり早い段階で仕事に復帰されたんですか?
栗原 切断したのが2015年の10月です。今やっと2年2ヶ月ですね。肘の下のところに癌があったので、上腕から切断しました。仕事には2016年3月下旬から復帰しています。
伊藤 まだたった2年だったんですね。それでもう義手に3本チャレンジされているんですね。
栗原 このピアノの鍵盤の柄が入っている義手は、「追っかけ用」です。兄弟ピアノデュオ レ・フレールの大ファンで、闘病生活は彼らの音楽やコンサートに参加したい気持ちで頑張れました。
伊藤 「追っかけ用」(笑)。だからピアノの柄なんですね。
栗原 2本は能動義手です。肩甲骨の動きで肘の曲げ伸ばしや、差し替えた手指具でつまむことができ、左手の負担が軽減できます。装飾義手と違い、握手もできます。私の一番使い勝手がいいのは、軽くてつまめるフック船長の型。仕事はリアルな装飾具を装着しています。
追っかけ用の手先具はリアルな手はおかしいと感じ、最初から装具屋さんに「フック船長で」と伝えていました。義手を見せるために洋服も肩の部分がまくれるように妹に縫ってもらいました。先日、渋谷で開催された「超福祉展」では義手でピアノを弾きました。片手で旋律を弾くと、ピアノがそれに合わせて自動で伴奏をしてくれるという「一人連弾」みたいなものです。そのときも、義手を見せなきゃ意味ないなと思って、わざと服をまくって弾きました。
伊藤 かっこいいですね!肩の部分のファーのふんわりしたところから、メカニカルな義手が出ている組み合わせが、めちゃくちゃかっこいいです。
栗原 今度パラリンピックがあるし、みんなに義手に見慣れてもらいたいなと思っていて。だから追っかけ用の「見せる義手」を作りました。
フック船長の手先具で筆を持ち絵を描いている方もいます。
この能動義手を作ったとき、本当は、義手を扱っている病院に数週間入院して、肘の曲げ伸ばしをトレーニングしなくちゃいけなかったんですね。でも私はそれをしていないんです。というのも、働いている病院の理事長が整形外科医なので、手術後に理事長秘書から(義肢)装具士に義手を依頼したから、と連絡がありました。職場に、装具士さんが出入りしていたんです。だから、その人に頼んで、義手を作ってもらうことができた。そのあと、装具士さんに筋電義手を作りたいと言ったら、まずは能動義手でトレーニングしないとだめだと言われて、能動を作ってもらいました。職場には作業療法士もいるし、トレーニングの器具もあるので、患者さんがいない朝などの時間帯に、「自己トレ」みたいにやっていました。私の場合は入院することがなくて、経済的にもラッキーでした。
伊藤 わざわざ外部に求めなくても、義手を作ってトレーニングする環境が、たまたま職場にととのっていたんですね。
栗原 そうです。私は病気で腕を切断したんですが、腕切断というと交通事故か仕事の事故で切断される方が多いんです。交通事故や仕事の事故の場合と、病気で切断した場合は、義手を作るにあたり、保険の制度が違います。私のように病気で切断して能動義手まで作るという人が、いままであまりいなかったようです。多くの場合は装飾でいい、という感じなんですね。でも私は仕事柄必要なので、能動義手は無くてはならない存在です。健側の左の手首が腱鞘炎になってしまったこともあって、職場では能動義手は重要です。
伊藤 認知症の方のケアをする場合に、どのような作業に役立ちますか。
栗原 入居者さんと接するときはフック船長だと見た目に刺激があるので、リアルな手のパーツをつけています。彼女たちはよく見ているので、「なんで動かさないんだろう」「なぜ左手で字を書くんだろう」と認識しているようです。「痛いからですよ」と答えると、ときどき触って「あ、やっぱり痛いから冷たいのね」と言う人がいたりして、やっぱり分かっていないのかな、とか(笑)。逆に、触った瞬間に偽物だと分かって、泣いちゃう人もいました。あとは、作業療法士の実習生がいるので、ここぞとばかりに勉強してもらっています(笑)。
伊藤 栗原さん自身と、義手の距離感はどうなっているんですか。義手は「自分の手」という感じですか。
栗原 えーっと、仕事中は体の一部ですね。左手のサポート役です。または商売道具(笑)
でもコンサートに行くときは、ファッションの一部ですね。アクセサリーみたいな感じかな。
追っかけ用の義手
栗原 義手にはもうちょっと見慣れてほしいですね。この追っかけ用の義手は、8月のファンクラブのときにできたんです。レ・フレールのオリジナルの手ぬぐいを義手に巻きつけて、樹脂で固めたんです。ジェルネイルのシールのような感じで、手ぬぐいが入っています。
伊藤 手ぬぐいがそのまま入っているんですね。
栗原 そうです。夏はどんどん見せたいですね。
伊藤 切断する前から筋電義手を作りたいと思ったきっかけはあったんですか。
栗原 ottobock.社のミケランジェロハンドを見て、すごくカッコいいなと思ったんですよね。
伊藤 もともとメカっぽいものが好きだったというわけではないですよね。
栗原 ファッションの趣味なんかは随分変わりました。ウィッグで大きく変わったかもしれません。ふだんはパンツばかりを履いていたのですが、ウィッグがおかっぱなのでスカートを履くようになりました。手術後、前あきの服は診察のときに患部が出しやすいので、ワンピースを着ることが増えましたね。私がワンピースを着るようになるなんて、びっくりですね。ウィッグにあうようなファッションをするようになりましたね。
伊藤 義手に関しても、このピアノの柄がはいった義手のような、リアルな腕とは遠いデザインのものに対して、抵抗を感じる人もいると思うんですよね。
栗原 義手のデザインに関してはわかりませんが、義手なしで外出は無理という人はいます。特に男の人だと、義手を外して、ない状態で歩くだけでも「ありえない」という人がいます。私は「え、ないものはないんだから」という感じなんですけどね。
伊藤 栗原さんは何でも楽しんじゃう感じですね。
栗原 だってないんだものね(笑)。あとは、「見慣れてちょうだい」という感覚ですね。切断してすぐ、義手をつけないで短いままで歩いていたら、高校生の女の子が「やー何あれ、信じられない、私あんなになったら死んじゃう」みたいな露骨な反応をしたことがありました。見てフリーズしている人もいるし。これが現状なんだと思いました。
義手のことは本当に知られていなくて、もっと知ってほしいです。役所の担当の方もよく分かっていないことが多くて、申請時に苦労します。健康保険では義手は1本しか申請できないとの理由で、申請済みの装飾義手をキャンセルして、能動義手で保険を使うというようなゴタゴタになってしまいました。切断する原因によって、健康保険、労災、障害者手帳、どの保険が適用されるかが変わり、そのそれぞれで作れる条件が違うので、混乱します。がん患者が障害者になることはつらいと強く感じました。
伊藤 筋電義手だと自己負担になりますよね。
栗原 今はそうなりますね。労災だと、筋電でも障害者手帳で作れるらしいんですが、私は病気なんで、「なぜ筋電にする必要があるのか」を福祉課に説明できないと、前例がないと言われて受け付けてもらえないと思います。
ただ、再発・転移する可能性があるので、どこまで義手にお金をかけていいのかな、というのはありますね。旅行に行ったほうがいいのかな、とかね。筋電は車を買えるくらいの額ですからね。Hack Berryのだと安いのですが、肘がある人向けなんですよね。上腕で切断した人向けの義手の開発が始まったら、モデルとして参加したいんですけどね。春には装具士の学校へ義手作成のモデルとして参加するなど、知ってもらうための活動はいろいろしていきたいです。
伊藤 展開が早いですね。ご家族はどうですか。
栗原 主人はとても協力的です。2016年1月から左手首の腱鞘炎が発症し、痛みが強く家事はほとんどしていません。仕事で左手を酷使しているので自宅では極力使わないようにと、下着をあげてくれたり、ご飯を作ってくれたりします。とても感謝しています。
あとは家だと足を使えるので、台所の台に足をのせ、お惣菜のケースをあけたり押さえたりしています。ヨガの効果なのか、足は楽にあげられるんですよね。口を使うのは、不特定な方が触れているのでちょっと不潔な感じで使えないですが。
伊藤 こうやってお話しているときに左手で右の義手を持っていらっしゃるのはなぜですか。
栗原 手を持ってる感じなのかな…。幻肢の手はもう少し肩に近いところにありますが、ピンチの手は先についていて、そこに手を添えている感じですね。写真を撮るときは、このピンチの向きを変えて、ピースしますよ(笑)。ピンチの先を開くために力を入れないといけないので、表情がひきつった感じになりますが。夏には資生堂の「Living with cancer」というプロジェクトで、メイクをして写真を撮ってもらいました(上から3列め、一番左が栗原さん)。これは遺影写真に使おうと思っています。
あと20歳くらい若かったら、不定期に開催される欠損バーのようなところでも働いてみたかったですね。
伊藤 ものすごくよく撮れていますね!綺麗ですね。キマってますね。
栗原 このときはピースしたらうまく笑えなくて、フックを横向きにしました。
伊藤 面白いですね。手だし、アクセサリーだし、選択肢が増えた感じですね。
栗原 そうなんですよ。最初、ベージュの義手がダサくて、義手装具士さんにも相談したんですよね。何とかならないのって。何で男性はベージュでいいのか信じられませんでした(笑)。パーツをシルバーにしようかとか、レ・フレールのステッカーが貼れるようにしようか、とか義手の妄想が膨らみました。もともと追っかけ用の帯や着物を作っていたんですが、エスカレートしてきました。着物は着付けしてもらわなければ着られないので…。
腕がない幻肢
伊藤 ヨガのポーズをとるときに、バランスをとるのが難しくないですか。
栗原 骨盤が曲がっているんですよね。腕がないので右肩が上がりやすく、左側に重心が傾いています。体幹は右の脇腹がちぢまって伸びない、扇子を閉じたまま広げられない感じです、腕がないので引っ張れず、ポーズはイメージで行う場面もあります。
また立位のバランスも変わりました。ヒールを履いた時が怖かったですね。手がなくなって重心が変化しているんです。切断前のヒールの靴は全部捨てちゃいました。
伊藤 手がないことが足にも影響するんですね。
それにしても病気で切断した方で、ここまで義手に関して「攻め」の姿勢の方は珍しいんじゃないでしょうか。
栗原 かもしれないですね。切断すると分かったときから、筋電義手は作りたいなと思っていたので、二の腕の収縮の練習をしていました。私は看護師なので、傷の治りは動かすことで全然違うということが経験上分かっていたので、自分でも手術後もなるべく力こぶを作る感じをイメージしていました。
伊藤 (断端の力こぶを触らせてもらう)すごい、ピクピクしていますね!
栗原 音楽聴いても反応します。レ・フレールのブギウギのリズムを、腕の残った部分でとったりしています。
伊藤 どうやって動かすんですか。
栗原 力こぶを作るには、幻肢の手をグーにする感じですね。手術後すぐから幻肢痛がありました。「へー、これが幻肢なのか」と思いました。幻肢の手はパーにするのは難しくて、かろうじて開ける感じです。うつぶせに寝ると、床の中で手がぶらぶらする感じがあり面白いです。「上肢切断者あるある」です。
伊藤 歩いているときは、幻肢は振っているんですか。
栗原 意識しないと振らないです。
伊藤 手は勝手に動いちゃう感じはないんですか。
栗原 勝手に動く、という感じではないですね…感じるのは、手の部分なんです。
伊藤 あ、腕ではないんですね。
栗原 そうです。ときどき腕を感じることもあって、「あ、今日は腕があった」みたいな…。肘は感じたことがなく、いつもあるのは手です。たまにがんのあった部分に痛みを感じることがあります。
伊藤 がんのときは痛みを感じていたんですか。
栗原 痛みもしびれもないです。検査後から痛みと痺れが襲ってきました。がんは肘下の深い部分にあり、画像だけでは悪性度がわからないので切開生検を7月に受けました。麻酔から覚めてから患部の痛みと痺れがでてきました。痺れは尋常ではなかったです。そのときは右腕全体が痺れ、落としたものを拾おうとすると稲妻が走るような感じでした。箸を持つのも辛く、左手でフォークを使って食べていました。
伊藤 なるほど。そのときのビリビリ感が今も残っているということなんですね。
栗原 検査後の痛みは8月ごろに落ち着きましたが、痺れは切断するまでありました。
痺れはすごくバラエティがあります。今の幻肢の手が感じているビリビリは、ドクターフィッシュに入っているくらいな感じですね。このドクターフィッシュに入っているビリビリ感だけのときもあれば、正座してしびれているときの感じが加わったり、急に稲妻が走るような感じがあったりします。稲妻は夜感じることが多いですね。今のように、しゃべってまぎれていたりするといいんですが、夜ぼーっとテレビを見ていたりすると稲妻がきます。冷たさが痺れになることもあって、今も断端を触るとひんやり冷たい。しびれはそのときによって色々なんです。アプリで「今、幻肢どう?」みたいな幻肢痛ツールがあれば嬉しいです。気圧によって悪くなっているとか、お互いに分かっていいんですけどね。
伊藤 その痺れは、複数のものが混ざっているのか、それともひとつのしびれが変化しているんでしょうか。
栗原 よくわかりません。腕や足の特定の場所を触ると、幻肢がビリビリ増強することがありますね。靴下を履こうしてへんな動きをするとビリっときたりして、何かが連動しているんだと思うんですが、よく分かりません。「まあ、いいや」ってなっちゃう。
伊藤 今日は天気はいいですが、幻肢の状態はどうですか。
栗原 ドクターフィッシュ程度です。
昨日の夜は泣いていました。断端を下着の中にいれて、あたためていました。あたためると楽になるんです。ところが、ふだんやっているビクラムヨガのスタジオは、室温40度、湿度40%で、入ってしばらくすると、幻肢の腕がジンジンしてきます。寒いところから帰ってお湯の中に手を入れるとじわーんとしますよね。あんな感じで、幻肢が痛むんです。血流がよくなるからそう感じるのだとすると、しょうがないんでしょうけど。
伊藤 なるほど。血流の変化を幻肢の痛さとして感じるんですね。
栗原 ビクラムは幻肢痛を強くしますが、体のためには欠かせないんですよね。幻肢はポーズをとっている90分間は、忘れられます。ポーズに集中しているからだと思います。
ビクラムを再開した頃は抗がん剤の影響で丸坊主でした。ウィッグを装着していましたが、スタジオ内の姿は、腕もなければ髪の毛もない!さぞかしみなさん驚かれたと思います。ヨガの先生からは自分に集中して行うから気にする必要はないと受け入れてくれました。
手術後の抗がん剤治療で入院していたときに、一度だけ部屋の4人全員が切断した人だったことがありました。私以外は下肢の方で、股関節からない高齢の女性、腿からない50代後半の女性、膝の下から先がない若い女性、そして私でした。私は手術一ヶ月後の時期で、幻肢が強く痺れていて、和らぐ場所があるのではないかと腕をブルブルと色々動かしていると、高齢の方から「痺れが強いの?」と。幻肢・幻肢痛を共有できた入院生活はこのときだけでした。
伊藤 栗原さんの場合、手術してからの幻肢の変化はどうですか。
栗原 2016年12月までは、職場の近くにヨガのスタジオがあったので、毎日仕事が終わってから行っていました。そのスタジオがなくなっちゃって、銀座まで出てこなくちゃいけなくなったので、平日は来られなくなりました。そのせいで最近、幻肢が痛くなってきてるのかな、と思ったりします。でも一生付き合うもので、しょうがないと思っています。
最近は左手首の腱鞘炎がときどき剣山で刺されるように痛く、さらに肘も痛くなってきたので困っています。
伊藤 パソコンの操作はどうしているんですか。
栗原 職場のパソコンに音声認識ソフトを入れているので苦になりません。自宅にも同様のソフトを買って、利用しています。
2017年12月10日 銀座の喫茶店にて